国府津停車場
海岸側から駅舎方面を見る
右の建物は「相仙」
駅舎から海岸方面見る
左:相仙
国府津駅。昭和10年ごろのようす。(消印は昭和10年8月4日)
震災から再開した小田原~国府津間の富士屋自動車のバスが写っている。
宮之下にあった西洋料理・土産物店:山海楼
なぜかここに富士屋自働車の停留所があった?
「宮之下停留所」との関係は?
箱根登山鉄道・塔之沢駅入口 昭和8年以降の絵葉書
左の建物の部分拡大
富士箱根自動車の塔之沢停留所と思われる。
絵葉書「甲斐國上吉田望岳館 おさかべ」
富士屋自動車ではないが、神奈川を示すナンバー「K89」
小田原駅前の富士屋自動車車庫(出張所)
ハドソン車「神260」は
・「全国自動車所有者名簿」によると、大正10年および大正12年には富士屋自働車に在籍している。
・富士屋自働車(株)車両検査番号一覧(大正11年9月1日)にも登場する
・富士屋自働車(株)車両受持表(大正13年11月7日)によると、車号は18号車で、運転手は川又となっている。
富士屋自働車の小田原駅前出張所の電話番号は、大正13年までは小田原六二七番、大正14年からは小田原二四番に変更しており、小田原出張所は大正8年以前には存在しない。
ナンバープレートは、大正2年より、全国の登録台数が1000台を超え、神奈川は「K」と表記。大正8年2月15日の内務省令により、黒字に白文字で「神」表記に変更された。
したがって、絵葉書の撮影年代は大正9~13年頃と推定できる。
絵葉書 箱根名所 電車停車場(箱根湯本)
箱根湯本停車場にとまる小田原電気鉄道の貸自動車
ナンバーは左から「神1139」「神1021」「神403」
絵葉書 (酒匂八景の内)相州酒匂橋
酒匂橋を渡る富士屋自動車のハドソン車「神451」
富士箱根自動車
沼津~箱根町間の時刻表
神戸屋ふるや店(パン屋)の店舗は昭和10年ごろに建てられた古谷タクシー車庫兼社屋の建物を改築して使用しています。(現在、社屋部分は消失)(平成16年6月9日登録 有形登録文化財)
HP文化遺産オンラインによると、
国府津駅前に位置し,国道1号線に面した角地に建つ。タクシー会社の車庫兼社屋として建てられたもので,現在では店舗として利用されている。木造であるが,外壁はモルタルで洋風石造建築を模しており,隅の円柱,窓周り,軒部等に特徴的な意匠を備えている。 |
現在、この建物は「旧富士屋自動車停車場」として認識されているが、これは以下の点で誤りと考えられる。
・そもそも2004年有形文化財登録時には、「タクシー会社の車庫兼社屋として建てられた」とだけあり、富士屋自動車の記述は無い。
・昭和7年に富士屋自動車は箱根登山と合併し、「富士箱根自動車」となっていたため、昭和10年代に築造されたこの建物を「旧富士屋自動車停車場」とすると整合性がとれない。
・昭和10年代に撮影された下の建物にははっきりと「古谷タクシー」と書かれており、使用車種も富士屋自動車のものでは無い。
・国府津小学校「開校百年ー学校都市域のあゆみ 1886年~1986年」記念誌作成時の取材(1986年以前)で、神戸屋ふるや店先代の古谷浅吉氏は古谷タクシーについて「昭和初年から20年までの営業。タクシーとトラック輸送を経営」とある。
それではなぜ「旧富士屋自動車停車場」とされてしまったのか。
小学館「近代建築散歩 東京・横浜編」宮本和義・アトリエM5(2007年刊)には「旧富士屋自動車停車場」との記述が見られ、取材時に間違った情報が伝えられたと考えられる。
国府津小学校開校百年史に掲載された昭和10年代の古谷タクシー時代の写真
車種は1935~36年型シボレーか
▲古谷タクシー店とイギリスのジーエス
昭和初年から20年までの営業。タクシーとトラック輸送を経営した。タクシーは箱根に行く客が多かった。小松宮殿下や大隈首相、河野一郎など、有名人ものせた。
ジーエスは、3人乗りで、値下げ競争の手段として買い換えた。トラックは4年間の経営で、ブリやみかんを京浜地方に運んだ。
古谷浅吉氏提供・談
(国府津小学校百年史の説明文より)
店の主人に聞くと、古谷タクシーはのちに報徳タクシーに吸収合併されたとのことである。
小松宮殿下(小松宮彰仁親王)は、弘化3(1846)年~明治36(1903)年
大隈重信は、天保9(1838)年~大正11(1922)年 であるから、上のような事実は無い。
また、国会デジタル図書館で「全国乗合自動車総覧(昭和9年)」を検索すると、(昭和9年時点で)古谷タクシーは存在していないことがわかり、古谷タクシーは、現存する建物が築造された昭和10年以降、昭和20年までの営業と考えられる。